湿った土の音

土はふかふか、近くの川から水が流れてきて
水の音、鳥の鳴き声、虫のさざめき、蝶の羽ばたき、カエルの鳴き声、色んな音が
寝ぞべったら、湿った土を通して、たくさんの音が聞こえてきた、

人の目線だと、地面の声は中々聞く機会がないが
なるほど、土に耳を当てると、たくさんの音が直に響いてくる。
植物の根は、この音の響きたちをダイレクトに感じているのだろう。

自然は音楽がエネルギーになってた。

 
太陽の光もそうでした。
太陽の光、光は波、熱を持った暖かな光の音がする。
それが、地面の水の冷たさに反射して、キラキラと光っている。

根は冷やり、葉っぱは温か。
その落差に、なんとも言えない心地よさを感じました。
寝そべりながら、植物の気持ち。
 
P1000961
 
色々な生命たちの気配が、音になって、自分を支えるのを助けてくれている。
だから、豊かな土ではよく育つのだと思った。植物たち。

あと、自分自身も、豊かな土の上で、色々な気配を感じて、いつのまにか安心して眠る。
おきたら、すごく目が冴え渡る感覚。目覚めスッキリ、すばらしい(。0 _ 0。)ノ

 

水。水は、音を響かせるために必要なんだね。
皆持ってる、身体の水。水を通して、全ての音が共鳴するようになる。


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常識を逸脱していた

それが問題だった。
今まで受け入れられるのは難しいと思っていた。
考え方があまりにもかけ離れていたから。

 
だが、一人の人が教えてくれた。
そうでもなかったみたい。原因は自分の心の持ち様にあった

ずっと、お話しを聴いてる内に、ただ生きてくだけでも精一杯の日常を、追体験する内に。
もし、この人に、自分の考えを話したらどうなるだろう?って思った。

 
少し話した。端的に。

 
「土地がほしい」

 

え???

 
最初、こんな感じな反応。
それでどうしたいの?って返された。

だから、この図らしきものを見せた。

http://goldenflower.jp/blog/2698

 

え???

これ本気?!(笑)
 

って笑われた(。0 _ 0。)ノ

というのが、冗談だと思ってたみたいなのが本気だと伝わると
神妙な顔持ちになって、静かに口を開く。

 
「それ、私だったらついて行けない」って。

 
一般的な回答。が、そこから願いを叶えるヒントを付け加えてくれる。

 
「まず、最低限生活できる家でしょ? 絶対に必要なのそれ」

 
(o _ o。)

 
「次に車。これがないとどうやって山林まで行き来するの?」

 
(o _ o。)

 
「最後に、土地。あのね、いきなりココだけ完成させようって
 一体どれだけの年月かかるの? 」

 

おっしゃるとおりでございます(o _ o。)

 

「いや、これ当たり前の意見だから(笑)」

 

…(苦笑)

 

まぁ、そんなやり取りがあってですね。

 
つまり、自分が今まで世間一般に対して聞く耳を持たなかったことが
突拍子もない夢の光景のみに焦点を宛ててたが故、理解されない結果だったのですわ(。0 _ 0。)ノ

賛同者がおらなければ、孤独にやるしかねぇ。
どんだけかかるやろか? 失敗しまくって気づくのと、
お話を聴いて気づくのではスピードが違いますね。

それまでの道のり、より分かりやすく確実な方向性を、身近な方からご伝授くださいました。うむ、あなたは神か(。0 _ 0。)ノ? これならより現実的じゃ。

 
自ずから、愚か者だと自覚せざるをえんにゃ(‘ ‘*)
故に、すーぱーフレキシブルなお言葉をお受け取りなさった。


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都会と山林を結ぶ導線「車」

車、今まであんま好きじゃなかった。今でもだが…
維持費はかかるは資源は食うわ排気は酷いわ値段は高いわ小回りが効かんわ処分が大変だわ…

そんなこんなで、今までペーパーでした。

が、これが山林に拠点を持つとなると話が変わってくる。
山林に棲む場所を形作ろうなど、いきなりはハードルが高いし無理がある。

そんなとき、車があればどうだろう。
最悪、車で寝泊まりできる。住む場所とりあえずクリア。
さらに、人間社会との行き来が楽ちん、最初は山林に戸惑うことも多かれど
山林に慣れ親しむまで。木を植えたり実の生る植物を植えたり小屋(?)を立てたり。
ゆっくりと気の向くままに。数年スパンの時間を掛けてスムーズな移行が行える。

 
資材を運ぶにも車があれば便利だろう。とにかく、場を作る準備には必要だと思った。
お客さんを呼ぶにも、車があれば尚更助かる。

 
山林に拠点が置けたら、車も要らなくなるだろうから中古車行きにすればいいだけだ。
大事に使えば、何の問題もない。

それまでのお金と維持費と排気が大変、猫との約束もあったが。
それに余りあるリターンが得られるかもしれない。

 
安い車で
燃費が良くて
小回りが効いて
維持費が掛からない車希望。


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あなたが無力と感じる時

何も出来ないね。
そこにいるだけで、何も出来ない。
今までの知識が、全く役に立たないことを意味する。

本当に、情けない。

 

例えば、身体の不調で悩む人。他人に何が出来るというのか。
治し方、全体を視て、その原因を自身で解消できる手助けを促すだけだ。

たったこれだけのこと。
それができないでいる。

 
うちの庭でとれたハーブのお茶を飲むとイイ。
うちの庭の木陰で涼むといい。
うちの庭のベリーの実を食べるとイイ。

地下水から汲み上げた湧き水。
全てに守られた空間の中で、その活きた水が身体のすべてを浄化してくれる。

 
ほら、自由な空想の中でなら、いくらだって方法があるんだ。
足りない身体のエッセンスなんて、思い描く理想の世界なら幾らでも補充できるんだ。

 

未来の、こう在りたい!という意識の中でなら無敵だ。
だが、現実に直面して絶望する。

それを、叶える手段は今、存在しない。

 

この無力感、虚しさは何だ?
理想を見すぎてるだけか?
もはや現実を見て絶望しか残らぬか。

 
そこで、親しい人が教えてくれた。

「一歩ずつだよ」

 

現実の、常識に沿った考え方が、目の前に合った確実な道を教えてくれる。
少しずつ、無理なく、それを実現する道のりを

目の前には、必要な物が全て揃ってある。とはよく言ったものか。
理想からは程遠い形で、それは確かに存在しているんだ。
未来の情景を見据え、現実に置き換えたパズルを突き詰める。

 
現実に、自らに絶望を覚える時、無力さに苛まれる時。

何も気づいてなかったのだ。
目の前には、必要な手順が違う形で用意されてることを。


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ほんの些細な綻びが、現実を凌駕する

過去を振り返る中、それは誕生の頃にまで遡った。
 

どうしてお母さんは、こんなに苦しい思いをしなければならないのだろう。
気づけば、母を見てそう思っていたみたいだった。

 
生きていくには、住む場所と食べ物があればいい。
それは昔から知っていたことだ。それさえあれば、苦しくないんだ。
なのに、どうして母は、食べ物を作ることをしないのだろう?
なぜ机に向かってばかり居るのだろうか?

 
そんなことをずっと不思議に思っていた。
曰く、資格をとるために「勉強」をしているのだという。
勉強してしけんに受かって資格をとれば、仕事につけるそうだ。

 
「どうして畑を耕さないの? 食べ物は何処から来るの?」

尋ねようとも、一向に聞ける気配ではない。

 
「この資格さえあれば、たくさんお金が稼げるからね。生活に困らなくなるからね?」

そんなこと言ってたような気がする。

 

この頃から思ってた。
なぜ、(母は)こんなに苦しい思いをしなければならないのだろう?
今してることに、何の意味があるのだろう?って。
子供の目線で考えると、本当に理解できない気持ちだ。

 

昔から、仕事?とか何やってるんだろうとか、
社会に対してどーでもいい目線だったのは、親のこういう姿を観てきたからだ。
子供は、大人が思ってる以上に物事をよく観ている。
 

「(お母さんが)楽に生きられるように、どうしたらいいんだろう?」

 
子供の頃、たぶんそういう目線で何事も観てきた。
何も知らない子供だったから、余計な目線が一切ない。
常識教える大人も居ないので、純粋に、目の前で起こってることに集中できた。

 

最初は、農家さんとか良いんじゃないかなって思った。
だって、食べ物で困ることは絶対にないんだもの。
それだけで生きていける。

これを親たちに話すと、
たしか「お金が稼げん」とか「キツイばっかり」とか云ってたような…

そうか、お金稼いで食べ物買うのが効率がいいのかー(‘ ‘*)?なんて大人の意見を聞きつつ。
それだったら食べ物作りながら、お金稼ぐのがいいのかな〜なんて思いつつ。

 

生き方のビジョンは、既に子供の頃から考えてたみたいだった。
そう。始まりはまず、この目線なんだ。

「どうして苦しまなくちゃならないのか?」

 
大人が云う、普通に働いて普通にお金稼いで普通に生きるというのが
少し道を外れただけで苦しそうな当時の母の状況を思うと、まさに疑問を抱かざるを得なかった。
「勉強」とかに対してもそう、母の姿を見て、それは必要ないものだと自分の中で判断した。

 

「普通に食べ物育てたらいいだけなのに…」

 

 

故に、子供の頃から「学校」や「社会」とは一歩引いた目線で物事を見ていたんだ。
故に、食べ物が中心。どうやったら生きるに困らないか?の目線。第一が食べ物。

それ以外は割りとどーでもよく、学校のお勉強を前に、本心では別のことを考えてた。

 
そんな目線に至ったのは、子供の頃の「苦しみ」から来ている。
何が何でも何とかしようという想いから来ている。
目の前の苦しい現実を、純粋にありのままに見つめることで、
そのカラクリを解き明かそうとしていたんだ。

 

もしも子供の頃、両親が幸せそうに映っていれば、
現在に対して疑問など持たなかった。

 
ほんの些細な綻びだね。
苦しみ、絶望、目の前の。たった一人の。
本当に、本当に、ありえない程の、理不尽な光景。

 
現実なんて、簡単に崩れ去ってしまえるんだ。


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