シダ植物の言葉

この庭には、シダ植物が生い茂っている。
冬、葉が枯れかけてもうじき土に還る頃だろうか?

どうしてシダが生えてくるんだろう?って疑問に思った(‘ ‘*)
そして、土の様子を見てみた。

とてもとてもふくよかな土になっていた。
生い茂るシダ

 
シダは、日当たりの悪い湿った土に根付くとされる。
この場所は、かつて大木が陽の光を遮り、水分が一定の量を保つことで、シダが生えてきたのだろうか。
とても生命力旺盛な、地盤だと想った。

 
シダが自生してる庭なんて、珍しいよなって…想ったのです。
それも、都会の真中で…

 
このシダの枯れかけた群生は、でもこのままだと他の植物たちが育たない。
どうしようと想い悩んではいる、何か作物を植えられたら…
少しだけ場所をお借りしようか…と考えたくらいだった。

今は未だ何も出来ないので、お庭の整備、枯れ草を取り除いて、土に還す。
そうして、死が再び生へと循環するように、お手伝いする。

 
シダ植物の言葉。
ここには大きな木が在る。だから私たちは此処に生きるんだ。
大地の土壌を、さらに豊かにしてあげられるんだ。


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土地から視た、私たちの存在

土地は、今まで生きていたあらゆる生命の、先祖たちの集合体。
地面の下では、何代も前の記憶が層になって積み重なっている。
より深い、遠い先祖たちが、地表へ続く私たち全てを見守っている。

さてさて。7代前の祖先にとって、私たち親子はいずれも…同じ子供だ。
子より親のほうが、ちょびっと早く生まれたに過ぎない。
もっともっと前の先祖の立場になれば、よもや平等の扱いに等しくなる。

 

土地の想念…遠い先祖にとって
私たちは子どもたち。そんな感覚(‘ ‘*)

次に、私たちが土地に対してそうであるように、
土地はそこに棲む人を自らの一部とする。
土地と契約を交わすと、人は土地の延長線上にある存在となる。

まぁ、いずれその地の下に眠るわけですから、そうですよね。。
 
 
土地は人にとって守り神になり、また親も同然となる。
信頼関係で結ばれるの、親から子へ。代々引き継がれてゆくように。
土地にとって、人とは自らを豊かにする可能性そのもの。
 
 
私たちは土地の上で、直に先祖の記憶を感じ、歴史を感じて、今生に花を咲かせる。

大いなる時の先端に、私たちが居て、輝かしい未来が形作られるさまを、土地と共に感じながら、私たちは生きつづける。
それはとても幸福な感覚で、代々の繋がりと共に生きる、素晴らしい生になると思う。

 

さて、なぜか空き地が目の前に在った。
初めてのよそ者が、その土地と契約を交わしたいとするとき。
その土地は、よそ者どのように見て取るだろう、そこに棲んでた先代たちの想念はどう思うだろう?

「何のようだ?」
「帰ってきたのか?」
「俺の声が聞こえるか?」
「また何処かへ去っていくのか?」
「お前は、ここで何をしたいのだ?」
「ここに居つく気はあるのか?」

 
半信半疑の状態で、土地(主に一番新しい先代の声)は私に問いかける。
私は、未だ完全に応えることをしない。
出来る限りのことはする。今は出来る範囲の限られる。
 
 
「私を木々で呼んだのはあなたたち。私に何ができるでしょう?
 最初にあなたたちの言葉を教えてほしい。その上で、出来る限りは応えます」

 
まぁ庭園を蘇らせたいだの、
小さなお店したいだの、まだまだ先(o _ o。)
 
ここを100%使って良いのか許可がとれるまでは、意思疎通が図れるまでは
この土地で調和の揺らぎを整えることに務めるのです。


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魂を牢獄から開放する植物「蔦」

土地の一部は、生命の閉ざされた。
人工的な構築物、生命の循環から外れた存在だ。
構築物は死してなお、土に還ること無く残り続ける、死に体…

役目を終えたのに、そこに廃棄物として残り続けている。
土に帰らず、それは…土地にとって、とても大きな負債だ。

 
死が残り続けるという苦しみだ…
廃家、張り巡らされた配線。金属の部品。

ああ、いつか書き記した資本主義の弊害は、このように少し後になって分かるのだ。
http://goldenflower.jp/blog/2768
http://goldenflower.jp/blog/2945

 
この土地の苦しみは、新しい先代のモノだけでなかった。
子どもたちが帰ってこない理由とは表面上のもの。
それよりももっと深くに、土の上で生まれ変われなくなってしまった構築物を
何とかして、元の輪廻の輪に返そうと必死に動き続けている。

実に意にそぐわない、お庭の惨状は、土地の嘆きだ。
蔦が縦横無尽に張り巡らされ、そこからエネルギーを吸着し、
死したコンクリートを大地へ還そうと懸命に働いている。

蔦
 
蔦は、現代住まいの常識がもたらした呪いを精算するのに、必死なように感じとれた。
ただし人の手を介さないと時間が掛かりすぎて、土地たちも疲弊する。
頑張らなくていいよ。蔦さんはゆっくり休んでて。それは私たちが引き受ける。
まずはお庭。お庭が懸命に頑張ってる何かを、それは私たちの責務だと伝える、元の素敵なお庭に戻ってもらう。

 
蔦が生えてくる場所は、そこに死すべき定めのものが眠っているということ。
コンクリートの地盤はひび割れ、壁はボロボロ、塀もボロボロ、これらもまた、いずれは死すべき定めのもの。

蔦は何も悪く無い。原因はすぐ側にある。
蔦に悩まされることなく、私たちが原因を取り除いてあげればいい。
生と死がバランスをとるとき、蔦はそれと共生し、共に繁栄する。


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土地の想念が私たちの親

土地には、先祖代々の生命たちの痕跡が埋まっている。
落ち葉や昔々の生き物たち、先祖のお骨が埋まっている。

土地が自分自身の一部になるとき。
土地の想念全てが、「私」の親となり友となりうる。
「私」が、先代たちの魂を引き継ぐからだ。

 
親から子に遺産が相続される。
だが、様々な理由で相続できない、或いは相続がなされない。
というのは、哀しいことかもだけれど、血の繋がった親と子の関係であれ、縁の大部分は薄れてしまうんだ。
代わりにその子が別の土地とつながりを持つ時、その場所が、真の繋がりのある親として迎えてくれる。

お嫁に行くって、このような感じだよね。。
お婿に行くのも、このような感じだよね。。

 
私たちの根付く土地が、親。
土地が子に、日々の糧を実らせて養ってくれるのだから。
よく考えたら自然なことなのです。

 

子どもが居なくなった親は哀しいのです。
だから迎え入れたい。出来れば、血の繋がった子に帰ってきて欲しい。
けれども願い叶わぬのなら、「私」がその想いを引き継ぐのです。

先代たちの想いと、何よりも自分自身の為に。


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人は種子、土地に根付くことで花開く

人が能力を100%開花できないのは、脳のメカニズムが解明されてないからではない。単純に、能力を引き出す条件が揃ってないだけのこと。

 
人は種子。無限の可能性を秘めたる存在。
種子が根付くのに、必要なのは土地だ。
住む家じゃない、根付くためには直に土地なのだ。

 
その土地で、骨を埋める決意をしたとき。
私たちは、あらゆる可能性を土地の上で再現しようと全力を出し始める。
誰のためでもない、自分自身の為に。自分自身がその土地で生き抜くために。

土地を自らの一部とするのだ。
そうすることで、人は無限の可能性を開花できるようになる。
食べ物を自給し、自分の世界を築き上げ、土や水、木々。太陽の光を介して、
自分に関わる地上の全てを目の前で感じ取ることに集中する。

 
区切られた一区画で、自身が喜びの中で生き続けるために。
人は、喜びに生きるためのあらゆる可能性を土地の上に再現していく。
なりたい自分が、土地に根付いた生命たちと共に、創りあげられる。

 
人は種子。
花開くには、土地が必要。

土地にとって、人は自らの地盤を実らせてくれる可能性そのもの。


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