親が子育てから解放されるとき

土地、そこに生きるための庭園を築くこと。

人と活きた土地が結びつく時、子どもは自らの土地に学ぶようになる。
親…と繋がった土地の中で、子供は自ずと成長していく。

 
親が土地をお世話する。
土地が子どもをお世話する。
そして、子どもが土地の新たな可能性を開く。

 
私は、気づいた。
今まで土地から切り離されていた。
だから、バカでアホになった。

子どもは生まれながらにして生き方を知らずに育った。
トンチンカンな頭、思考回路をもった大人になっていた。

世間一般と彼女の言うくくりの人たちは、
生きるということがどういうことか今一つ分かっていない。
私も含めてそうだった。だから、彼らに子育てを任せてはダメなのだ。

 
ここを見落としていた。
分かった。まずは土地。
土地の地盤を築いて、一緒に還る。
 
まずは僕らで学ぼう。
 
 
人が生きるにふさわしい土地、庭園を築く。
まずは実践、私自身がそう在らねばならぬ。

私自身が確かな生き方を築いた時、子どもは私の背中を見て育つ。
子育ての責務は、私の土地が担う。私の責務は果たされる。


» いつも応援ありがとうございます(' '*)

※ この記事がお役に立ちましたら、ぜひ皆さんにも広めてください.。.:*・゜

>> この記事をfacebookでシェアする

>> この記事をツイートしてみる

必要なのは土地、私は種

私には記憶力がない。
読み取る力はある。
記憶力がない。

そこを、土地が補ってくれる。
私が土地にいる限り、土地が歴史を刻んでくれる。覚えてくれる。
私が土地にいる限り、この土地の痕跡から記憶を読み取れる。

 
私が、聞いたはずのことを覚えていないのは。
聴こえていないから。零れ落ちていくから。必要ないもの。

それを覚えていて欲しいと願うなら。
私を完全にしておくれ。

 
人間は、それ単体では完全成り得ない。
拡張する、土地と一体化することで、人間は本来の力の片鱗を引き出す。

私は土地。人とは土地の種。
この場所の未来を成長させる種子に等しい。

 
何が咲くかは、人間次第。


» いつも応援ありがとうございます(' '*)

※ この記事がお役に立ちましたら、ぜひ皆さんにも広めてください.。.:*・゜

>> この記事をfacebookでシェアする

>> この記事をツイートしてみる

真実を形作る仕事を

過去のお仕事履歴。
今、手元に残っているもの。
記憶に、永遠に残るものは、…

がむしゃらに頑張ってこなした一時の案件は、今は見る影もないな…(‘ ‘*)
一発稼いで終わり、虚しい物世の。永遠には残らない。

 
一方で…
ただ好きで構築した音楽のサイト、創造の世界観。
もう一つ、現実にそれを再現するための、此処のメモ。

2つ。
私にとっての真実は、今までのお仕事に存在していない。
私にとっての真実は、好きなことを好きなように書いた2つだけ。
私にとっての真実は、好きなことを構築していくことだった。
 
これが何を意味するかと言えば…

 
私が今までやってきた仕事は、ただ食べるためのもの。
その先に何もない、人生の意義など無い…苦痛なだけのものだった。
だからやりたくないし仕事量も減らしたい。
私は今の仕事で生きつづけるのは不可能だ。子どもたちも養えない。

なのに金が要る。金ーーーー!
で、目先目先の仕事に囚われ、にっちもさっちもいかず。
少し余裕が出てきたら、今度は調子こいて地盤を固める前にポシャるとか…

アりえん。

 

 

地盤を固める。
地盤は土地。土地が要る。
土地がない限り、真実を生きることはできない。

土地が欲しい。
土地があれば、といつも思う。
土地があれば、全てが変わる。
土地の上でやることは、みな自分の真実になるから。

 

土地を得るにはお金があれば万事OKと思っていた。
だが最近、そうでもない感覚を思った。

土地に出会った。
あの土地は、人から見捨てられてた。
どうも、お金だけで解決できる問題ではないようだ。

 
不調和な木々から感じ取れる。
あのシダ、枯蔦。
ゴミがそこらに捨てられていた。
片付けても片付けても、翌日には何か落ちている。
あれは何?

土地の主はどこへ行ってしまった??
先代の庭の造りは、中々趣があるように見受けられたが
今では、見捨てられたゴーストタウンと化している。

木々が化けて出ておる。
あれは何?

 

もし、この土地を遣わせていただくとすれば
最初に必要なのは、土地に対する心遣いではないか…と、感じた。

この土地は、何らかの問題を抱えている。
それを解消しないかぎり、力になってはくれないようだ。


» いつも応援ありがとうございます(' '*)

※ この記事がお役に立ちましたら、ぜひ皆さんにも広めてください.。.:*・゜

>> この記事をfacebookでシェアする

>> この記事をツイートしてみる

ちっちゃく生きればやりたい放題

ちっちゃく生きればやりたい放題

言葉の響きは悪いかぇ?

 
大きく生きれば中身がスカスカ

真よのぉ(‘ ‘*)

 

ちっちゃく生きる時

その場に居るのは、自分自身だ。
 
自分自身しか居ない。自分自身だけがある。
 
この場に与えられた土地も、木も、草も、実も、降り注ぐ水も。

皆、私自身にあるがためのもの。

 
私はこの土地に属する。

私は与えられた区画、土地自身だ。
 
だから私は、土地。

土地を支配することで、私自身を支配する。
 
何物も、私を脅かすものはない。
 
私が土地と共にあるかぎり。

永遠に生きつづけることができる。

 

その土地を放棄してみよ。

その土地は、既に自分自身ではなくなり

自分自身の在るがための地盤を見失い

彷徨いびととなるのだ。

 

あ。去勢を張りたがる人が居るな。

あの人たちは何も分かってない。

自分自身に何もないというのを。分かっていない。

土地がないのに、なぜそんなに威勢がいいんだ?

半身を失ったことさえ気づいてないのか?

 

小さく生きよ。

与えられたこの土地で。

まずは小さく、思う存分に生きてみよ。

お前の人生は、そっからだろ?

与えられた土地に眠る無限の力を引き出してみせよ。


» いつも応援ありがとうございます(' '*)

※ この記事がお役に立ちましたら、ぜひ皆さんにも広めてください.。.:*・゜

>> この記事をfacebookでシェアする

>> この記事をツイートしてみる

空き家

空き家というものは、なぜ空き家になっているのだろう。
主を失った家は、役目を失い朽ち果てるのみか…

 
かの人は言った。

「あの樹は怖い・・・」

 
なぜだろう?
と視ていたら、何となく感じるものがあった。
あの庭に放置された木々たちは、悲しんでいた。

人の世話の入らず、放置された植物たち
縦横無尽に、秩序を失って、これまで主のために尽くしてきた意味を失って
悲しみながら、その切なる声を張り上げて…

 

張り巡らされた蔓は、石壁の鉄線を覆い、建造物を朽ちさせる。
その命を、自ら燃やすように…

 

「あの樹は怖い」

 
かの人の視点で見た感覚。
今を、目の前のことを視れば。
あそこは、人を寄せ付けたくない悲しみの声がある。

普通は、立ち入ろうと思わない。

 
けども、目先の光景など如何ようにも変わる。
彼らの行く先、可能性を幻視さえすれば。

あの場所は…

 

あの空き家の主は、かつて居た。
その時の名残が、お庭の景観に残っている。
そこから、感じ取る。今どうして欲しいのか?

残された子どもたちのことが気がかりか?
帰ってこない子どもたちのことが気がかりか?

 
子どもたちの役に立てない、自らの現状を嘆いているのか?
あの樹よ、草よ、打ち捨てられた幹たちよ。
あなた方の声に耳を傾ける。

今何を望む、私に何かできることはあるか?

 


» いつも応援ありがとうございます(' '*)

※ この記事がお役に立ちましたら、ぜひ皆さんにも広めてください.。.:*・゜

>> この記事をfacebookでシェアする

>> この記事をツイートしてみる