人は種子、土地に根付くことで花開く

人が能力を100%開花できないのは、脳のメカニズムが解明されてないからではない。単純に、能力を引き出す条件が揃ってないだけのこと。

 
人は種子。無限の可能性を秘めたる存在。
種子が根付くのに、必要なのは土地だ。
住む家じゃない、根付くためには直に土地なのだ。

 
その土地で、骨を埋める決意をしたとき。
私たちは、あらゆる可能性を土地の上で再現しようと全力を出し始める。
誰のためでもない、自分自身の為に。自分自身がその土地で生き抜くために。

土地を自らの一部とするのだ。
そうすることで、人は無限の可能性を開花できるようになる。
食べ物を自給し、自分の世界を築き上げ、土や水、木々。太陽の光を介して、
自分に関わる地上の全てを目の前で感じ取ることに集中する。

 
区切られた一区画で、自身が喜びの中で生き続けるために。
人は、喜びに生きるためのあらゆる可能性を土地の上に再現していく。
なりたい自分が、土地に根付いた生命たちと共に、創りあげられる。

 
人は種子。
花開くには、土地が必要。

土地にとって、人は自らの地盤を実らせてくれる可能性そのもの。


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先代の残した遺産

もう誰も使わない家。土地。。。
どうして、見捨てられてしまったのだろう。
どうして子どもたちは、出て行かねばならなかった?

 

ところで私の母は、マンションが欲しいと言ってました。
夢はマンションを買うことだと。。私が居なくなったらあなた使っていいのよ?
そんなふうに言ってました。
 
で、うちにゃ必要ないんだよな、それ。
寧ろ邪魔なだけ。マンションなんぞ相続放棄したいくらいだ。
あれは維持費の負債にしかならん。老朽化が進む一方。
いずれ朽ち果てるものだ。それに想い出も何もない。

母の思いは
「帰る家がいつでもあるように。万全に」

だとは思うのだけど、自分都合で勝手にセッティングしてるだけ。
子供が何を考えているか、何を必要としているかなんて見ようともしない。
自分都合で何でも揃えようとしてるだけ。邪魔なものばかりを。。。
頑張っても報われんな。寧ろ何もしてくれんほうが良いな。。

つまり今の親はおバカちゃんなので、遺産は見捨てられる結果になりますよと。そういうことでした。
自業自得。子どもの立場からしてみれば、やるせない思いです。
まぁ現状このままで行った場合の、仮定未来の話になります。

 
  
さて、考えてみると。
自分の場合と、昔からあるお家では訳が違ってくるのを感じます(o _ o。)
あの空き家は、昔からあるお家、両親と一緒に過ごした想い出があるはずです。

遠くに行ってしまって、もう使わなくなったとしても、
想い出を捨てたくないのかもしれません。
心ない人の手に渡ってほしくないのかもしれません。

十分にお金は残されてて、維持するくらい何のこと無いのかもしれません。
それとも、またいつか帰ってくる予定があるのでしょうか…

万一にも、仕方なく相続して放置する他なかった?

 
 
子どもたちは県外に赴いて、県外に拠点を構えて、
後にここに居たご両親は亡くなってしまって、
家と土地だけが残されて、日に日に想い出が色褪せていく、ここは空き家。

子どもたちが帰ってくる理由…なくなってしまっている。
木々が、哀しそうに佇んでいます。

 
私は物思いにふけます。
まだご両親がご健在だった頃、どのような想いで此処に暮らしてたのかを、
お庭のセンスは抜群に良いです。きっと、昔ながらの庭園を大切にされてた方なんだと思います。

 
しかし、家の建ち方は窮屈そうでした。元々あった家を増築したのかな?
何というか、住む人のこと、帰ってくる人のことを考えてないような…
かつての設計は人任せにされたのでしょうか…
間取りはこうスべきだと、当時の常識に縛られてしまったのでしょうか?

 
入り口から玄関がとても窮屈です。
入りづらい雰囲気を醸しだしてます。

もしかしたら、身内から外に対して一線引かざるを得ないような
家柄に印象付けられていたのだろうか…(‘ ‘*)?
人が出入りしづらい、入り口から玄関にかけての閉鎖感に何となく。

 
今は、伸びすぎた木々の枝たちがたくさん、入口付近に打ち捨てられています。
まるで誰も入ってくるなと仰ってるように。
此処は空き家だが、入ってくるなと主張せんばかりに。
なのに連日、何かしらゴミが捨てられている。。。

矛盾です(o _ o。)

 

この土地は哀しんでる。
でもその感情の裏側には、もっと純粋な願いが宿っていたのだと想います。

私は、この庭の作りが好き。とても風情が在る。
松の木も立派。今は哀しそうだけど、きっと蘇る。

 
それは何のためにある?
土地に残された植物たちに尋ねる。
何を想ってこの土地を残したの?
どこかに行ってしまった先代のことを考える。
 
私は知らない。
これから知っていきたい。


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次世代の温度調節器の構想

太陽と水を使う。
快適な温度になる調節器。

水は、うまく扱うことで太陽の光を屈折させて、光を集めることが出来る。
区画内にある広範囲の太陽光を一箇所に集め、水に熱エネルギーを保存させておくんだ。

昼は温度を水に宿らせて、夜はその熱エネルギーを自ら取り出す。

 
まるで太陽光発電みたいだなと思った。

 
同じことは、樹でできる。
樹は、光合成で水蒸気を発生させるが
小さな水の粒子が、幾重にもわたって空間に拡散する。

その水に、太陽のエネルギーは保存される。
夜、その水から太陽の記憶が取り出される。

温かい。樹がその役目を感じさせてくれる。

 

ふむ(‘ ‘*)


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結婚前の課題・心得ておくこと

以前、こんな記事を書きました。
私の考える理想の共同生活。

自立×自立 発展のアイデア

 
過去、婚約者居ましたが、結婚間近になってハイ待った(。0 _ 0。)ノとなった。結果お別れ。
何でも、何かにつけて責任が生ずるとか何とか。
一々身の振り考えるのも、相談しろとかイヤイヤ。
全部がキミに相談できる案件じゃないんだよ…特に仕事面に関してほらほら。

 
この時、世間のご家庭において、個人個人が思うように動けない理由が分かりました。
おまいら、家族に対する責任で雁字搦めになっとるやないけ?!

 
いやー、どんな時も優先スべきは自分自身、個人ですわ。
一人一人が自分優先で動くから、一人一人に思う生き方が実現できる。
その一人一人が帰る場所として、家庭があり家族が在る。そんな感覚(‘ ‘*)

お互いに大切だからこそ、家族に対して遠慮は要らない。
いちいち遠慮してちゃ、個人個人が活かせんのよな。
これも過去の記事で書いた

http://goldenflower.jp/blog/2407
http://goldenflower.jp/blog/2919

 

ということで。 
その結婚ハイ待った(‘ ‘*)!

 
ってなるのも当然の理由だ。
自分の思うような人生を生きてないうちはダメだ。
自分の思うような人生歩めてないのは自分自身のせいだ。
それを相手の責任にしてちゃ疲弊しかねない。お互いに。

 
心配する必要だって無い。
心配したって、まるで見当違いな事が多い。
核心的な部分を理解せずして、助言などあり得ない。
 
他人を気にかけるより自分で出来ること沢山あるだろ…
自分の行動次第で、相手の欠点はカバーできるものだろ?

家族同士の余計な心配とは、全員一人一人の未熟さの現れ。
力になりたいのに何も出来ません、理解できません、と子供のように拗ねてるだけ…
いや相手の形振りは相手自身に任せておけばいいんだよ。それが自然だろ。

寧ろ心配されても、心配すんなコレが俺のやり方だとなだめるのに手間どるだけ。
こちら未熟なうちは、無碍に突き放すしかなくなるわけだ。

 
最初は理解に努めて見守るのみ。それが当人にとって最善な選択になることも多い。
  
俺だって優先スべきことがたくさんあるんだ。
集中させてくれよ、集中させろよな(o _ o。)

 
せめて、俺の思う自分の人生を生きれてからだな。
自分の人生を目の前に100%実現できてりゃ、相手も全面的に信頼するだろうしな。
信頼して付いてきてくれるなら、喜んで養うしな。

 
だが信頼できん部分があるなら、そこは未だ関わらない方がいい。
俺は未だ未だ自分の人生100%生きれてない。

それまでは解き放てよ。好きなように生きるのに全力だよ。
成し遂げたいこと、本物の人生を歩むのに全力だよ。応援してくれるよな?
お互いそうだよな。そうすりゃ一緒になる時、お互いの個性が活きるようになる。

 
素晴らしい未来が開ける予兆じゃ(。0 _ 0。)ノ


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土地を得るのに必要なモノ

まとまったお金が必要と思ったら、必ずしもそうじゃなかった。

必要なモノは…土地の視点で物事を視る力だった。
土地は元々そこにある。空いていれば使っていい。
国も法律もない、真っ更なセカイであるならば…。

 
今は、主の居ない土地にも、いずれか所有者が定められる。
所有者は土地に対し、何らかの権利を持っている。
けれど、その権利を維持するために、税金を必要とする。

 
どうしてなのだろう?
どうして、ただ土地を所有しているというだけで
使ってないのに何かを持っていかれなければいけないのだろう。

逆もしかり、もはや誰も使っていない空き地なのに
どうして土地の所有権がはっきりしないせいで、誰もその場所を使えないのだろう。

 
土地に値段はない。これが自然の視点。
では、なぜ値段のないものが、一般に手を出せんほどに高額なのか?

 
この視点。
パズルだ。

 

土地を買うでなく、まずは土地をお借りする…が今は現実的だね。
と、話し合う内にそんな言葉が出る。

 
そうか、まとまったお金10,000,000円〜単位で視るんじゃない。
月-10万円…という視点だ。
あなたが何もしなければ、毎月10万円分のエネルギーが欠けてゆく
だから不調和であると見ればいいわけだ。

考えたら、土地の所有者に支払われる家賃の出費。

ふむふむ(‘ ‘*)

 

 

このパラドクスを解消するには、10万円分の権利収入。
それを自分も持てばいいじゃないか(。◕ ∀ ◕。)ノ
10万円分の権利収入で、その土地はタダだ。
 

方法は色々在るが、実際に別の不動産を扱う手も在るんだろうが
投資という手もある、リートとか。まぁあれも不動産みたいなもんよな。
過去、2%分/月の権利収入が入ってきてた。今はどうか知らん。

500万あれば?
10万/月だ。あんとき解決法の一つだったな(o _ o。)

ま〜あれだ。
不動産権利収入だったら、不動産の価値が崩れた時に家賃も発生しなくなるから、ある意味バランスがとれるのか?

 

とか、そんなんよく分からんセカイ。
お金で測るとエネルギー分断されて見えづらいの。

本質、空き地タダ。高いように見せかけて、
でも実は別の視点にて収支がつくようになってる。

気持ちの問題なのかもしれない(‘ ‘*)

 

自給自足もやろうと思えばできるんよな。
10万で借りて10万以上の価値をその土地に見出せばイイのか。

やりようはいくらでもあるんだ。
土地を得るには、あらゆる制度や法律を利用して…とか。
 
都会の土地は高く映る。都会でやるからムズい。
田舎は安い。田舎なら簡単。

 
だけど今、在るべき自然の大地が都会に入り込むからこそ、先の意味が見出だせるのだと思う。

消え去るは、都会の土地のパラドクス。


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