緩やかな変化を望む。急な変化は望まない。
そんなふうに怒られてしまった(o _ o。)
500年スパンで物事を考えるなら
どうしてここ10〜20年で結果を出そうと焦る必要があるのかね?
って。
考えてもみる。
急にお前の云う「理想の生き方」を完全に実現しようとしてみろ。
周りの人間社会との折り合いはどうなるのかね?って・・・
急な変化が起こって、世の中の経済が一斉に崩壊した時、
都会に残された人々はどうなるのかね?って・・・
お前一人で生きてるわけじゃない。
お前の家族や、パートナーの考えがあり、お相手のご家族のこと、さらに子供の将来のことなど。
色んな関わりを通して、人は生き続けることが出来る。
そこに関わる人達は、世の中の常識で生きてる人たちも居て
お前が親世代の常識を否定するのは勝手だが、
それは両親の生き方をすべて否定してるようなもの。自分の存在を否定するにも繋がる。
お前は周りの存在と関わりあって初めてお前自身である。
よもや、お前自身の育った生い立ちごと否定するというのか?
それに家族を巻き込んでお前だけが理想の生活を実現できれば、家族の考えや立場などどうなってもいいと?
そんな考えでは、お前は猛反発を受けるだろう。そして親族から戒めを受けるだろう。
お前は周りの人々との関わりを断ち切って、一人で生きるのかね?
誰の目にも触れずに、孤独を歩むのもよし。
しかし、それでは先がない。何もない。
お前のできる範囲で、思うとおり生きたらいいのだ。
お前が出来なかったことは、子どもたちに任せればいいじゃないか。
500年スパンでモノを見るのだったら、ゆるやかな変化で十分だ。
誰の考えを否定する必要もないし、お前はお前でいればいい。
ここの記事の内容は、昭和世代の常識からは逸脱してるとは思う
平成の世の一般的な考えとも、微妙にかけ離れている、
視点が違いすぎて意味が分からん人も居るかも
もしも自分だけの視点を絶対視していたら、理解してもらうことは本当に難しいと思う。
そりゃそうだ・・・ 世の中の常識、というか自分の人生の常識。
今までそのように生きてきた。それが正しいと信じて生きてきた。
彼らの生き方なのだ。団塊世代の方たちは特に50年以上も、人生の大半をそうやって生きてきた。
それが、自分の半分にも満たない年齢の若造から
「自分の常識から、随分とまぁかけ離れた考え、将来設計」を聞かされてみよ。
所詮、地に足のつかない若造の言葉だな。聞くに足らない、何と夢物語なことか…
だから若造には、儂ら大人な考えをもう一度教えこまねばならぬな。いいか、よく聞けよ?
ふむ。では、50代以上の方が言う一般常識の、
しっかりした人の考えを聞いておこう(o _ o。)
「世の中そんなに甘くないぞ? いいか?
人間社会で生きてる以上はな?
朝から晩まで頑張って働いて。お金を貯めて
家族を養い、子供を教育し、立派に大学までやって
自分は老後の生活の心配がないようにな、貯金をしっかりしておくんだ。
そこまでして、自分の子どもらに迷惑かけないように生きて一人前だ。分かるな?」
うむ(‘ ‘*)
これはこれで立派な考えだと思うんだ。
しかし致命的な「穴」は避けられない。
今、上の言葉通りに「お金を貯めよう!」
って、その為に仕事を頑張っても無理があるということを。
今、お金の多くはどのように回ってるのか。
この部分を考察すれば、もう残された地盤が一杯いっぱいなのが目に見えるんじゃないかと思うのです。
⇒ 見せかけで動かされる世の中
もし世の中の云う常識のとおりに正しくあろう、と自分を律する時
否応なしに自分の意志を歪めなければならぬ、我慢しなければならぬ、
さらに経済の地盤、自然環境を、さらにさらに食いつぶさねばならぬ。
最後に、自分たちが食いつぶした負債だらけの地盤を、子どもたちに押し付けねばならぬ。
どうあったって、こんな生き方では、未来の子どもたちに迷惑をかけるだけなのだ
原発問題然り
食べ物に関する様々な問題
人間社会のストレス
教育システムの偏り
医療に対する依存心など
そういった細かい項目の改善策はこちらより(。0 _ 0。)ノ
⇒ 便利な道具の落とし穴
⇒ 子どもの教育費
⇒ 自然治癒力を発揮する場
これが、今の人間社会の現状だと。
挙げざるをえない… 「世の中の常識」が作り出した問題点。欠陥。
従来の常識こそが、文字通りの「地に足がついてない」
これを「仕方ない」で済まされるだろうか?
もちろん、今。都会の人間社会に生きてる以上。
急に経済の流れを止める訳にはいかない。お金の流れを持続するのは必要悪なことではある。
だから少しずつ、ダウンシフトしていく。
それでダメージは最小限に抑えつつ。
次の時代にあった生き方、自然と共生する生き方へ
少しずつ少しずつ、移り変わることができるはず。
国の政治は、多くが従来の常識のもとに施行されるだろうから。
とりあえず宛にならないだろう。多数決だし。
だから今の生活基盤を、より生きやすい環境にするならば
個人単位で、生き方を考えなおすところから始めるしかないように思う。
病気が多い世の中になりました。
まぁ、現代の生活様式を省みるに、逆によく100年近くも生きられるなぁ…とも思いますが・・・
老後の心配で、お金貯めてる人居た。
老後になって施設送りを想定したり、病院で入院費。相当かかったり。
を心配する。
こういう話を聞く度に、すごーーーく残念な想いを抱きます。
自分の体のことくらい、自分で何とか出来るのに。って。
自分の場を持つこと。そして土地に、自らの身体を依り代にする。
さすれば、自分の身体が、住んでる土地全体に対応するようになる。
万一病気になるとき、対応する土地の場所へいく、
そこが何となく薄汚れてたり、陰ってたりする。
庭の手入れをする。そこに成る実を食べる。
放置されてあったツルや枯れ草を綺麗にして、太陽の光にあたる。
自分も一緒にあたる。
あ〜、よく寝た(o _ o。)!
はい、元通り。
病とは何だろう?ってなる。
もともとあってないようなものだ、って。
病とは、ススみたいな、蜘蛛の巣みたいなもの。発酵と腐敗で云う腐敗の状態。
何かが滞ってる、淀んでる、だから腐食が進んで汚れていってるだけ。
その部分に気づいたら、入念に手入れして、風と、お日さまの光を通して、環境を良くしてあげれば
元通りだ。
しかし、土地の基板が奪われてる今、
人は、自分で病を何とかできるというのを忘れてしまっている。
⇒ お医者さんから学ぶこと
根本の地盤が崩れてる現代の生活様式が、高額な最先端の医療を必要とする。
高額な医療費を自分から払いに行ってるに過ぎない。
最先端の医療は、文明社会に浸かりすぎて、自然の恩恵を忘れてしまった存在。
生命の本来の役割を見失った存在、気枯れして身体の弱くなった富裕層、人々のためだけにある。
自然治癒力の活用法や、生き方における本来の立ち位置「自然の中において」を思い出せたら、
現代医療など、もはや関係のない話になるんだ。
医療・健康面に関して。
お金を稼ぐより、もっと必要になってくるのは
- 自分の身体の本来の機能を思い出すこと。
- 病が存在する意味、本当の原因を知ること
- 「自分で治す」を実行に移せる環境を整えること。
- 地上のあらゆる生命たちと、自分はどのように関わり合ってるか。に、もっと関心をもつこと。
無駄とは?
余計な力。行き場を失った力。目的を見失った力。
余計な知識でもある。行き場を失った知識。目的を見失った知識。
無・駄(。0 _ 0。)ノ!
こんな逸話があります。
宇宙空間では通常、ボールペンが使えない。
でも、どうしても宇宙船の中でボールペンを使いたい。
どうすればいいだろう?
ある乗組員たちは、開発費1000万$を通じて、無重力でも使えるボールペンを研究した。
一方で、別の国の乗組員たちは普通の鉛筆を使った。。。
この場合、目的は「字を書くこと」。宇宙船の中で、だ。
別にボールペンを使う必要なんて無い。鉛筆で十分だったのだ。
けれども、本来の目的を見誤ったが為に、前者は無駄なお金と時間を浪費してしまった。
現代のお勉強とか科学技術とか、こういった例のケースが、かなりかなりかなり多いと思うんです。
無駄だらけ。やや、人の作った文明社会というものですね。
発明品が生活基盤の当たり前になると、その根本の役割を見失う。応用が効かなくなる
しかも研究の用途が、「俺スゲー!」技術路線に走る時
本来の目的を見失うばかりか。システムだけがさらに複雑に、もう面倒くさいだけになる。
ほとんどの学問が、そうであるように。
権威にのっとって難しく話す。俺スゲー学問。さもそれがスゴイことのように難しく話す。
素晴らしく面倒くさい。ネットに蔓延する情報もほとんどね。
このサイトも含めてです。
読む人にとってはある意味、無駄が多い。
(著者と読者と、人生の方向性、きっと違う部分ある、
ネットのどんな情報も、読者視点ではない。著者の世界観が中心。
だから話半分くらいがちょうどいい。自分の経験こそが信頼に値するもの)
では冒頭に戻る。
人生において、ボールペンを使うことは必須なのか?
その意味を、根本から考えなおしてみる問いかけでした。
何に対して?
「自らの生活の在り方」に関して。
便利な道具の落とし穴
便利です! わぁすごい!何もかも自動化!!
そんなスゴイ機械があります。家事が楽になるぜ〜(。0 _ 0。)ノ
- 車
- 掃除機
- ルンバ
- 洗濯機
- 食器洗浄機
- 風呂焚き
- ガスコンロ
- 水洗トイレ
これらって、家事が楽になる税?
便利な道具の落とし穴、
ほら、機械を動かすためのコストを見落としてますね。
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