福岡市の地元のお店の一つ「スタジオパル」(。0 _ 0。)ノ
昔懐かしき商店街の立ち並ぶ通りの端のほうに。
30年以上前からある小さなサロン。
通る度に思ってた。
ここは何をするところなのだろうか?と。
ずっと以前から不思議に思ってました。
そしたらつい先日のこと
スタジオパルのご主人とお知り合いになれてしまったw(‘ ‘*)w
地元のカフェにて、知人であるマスターの取り計らいでご一緒させていただきました。
スタジオパルはニキビを重点的に治療する専門のサロン。
それ一本で…30年以上もお店を続けられてきたんだとか。
30年…(。0 _ 0。)ノ;
うちのサイトは今年で4年目ですよ(。0 _ 0。)ノ
うむ…ぽっと出で、コジャレたお店を開くのは簡単だけど。
こういったサロンって、何十年と続いているお店は中々見られないです。
ニキビの対処法はこのサイトのコンテンツでも簡単に書いておりますが
⇒ ニキビ簡単ケア 大人ニキビを治す食事改善法
所詮、専門的に学んで2年目の文章w(‘ ‘*)w
この文章が本物かどうかは、何十年とお役に立ち続けてやっと判断されるところでしょう。
スタジオパルさん、ここは色んな人のニキビをずっと治してきてる。30年間それだけ。
それだけで、30年お店として続けている。よく考えるとすごいかもしれない。
この業界3〜4年の自分には未だまだ想像もつかないほどのノウハウと知識が詰まってるだろう。
店のご主人も、先生として非常に信頼できる感じでした。
あれからしばらくお店に顔を出すようになり、ある日エステティシャンで30年務めてらっしゃる先生の奥さんから、こんな話を聞きました。
「ここのお客さんはね。。。」
30年間の歴史。
数十年前に高校生・大学生だった子が、悩みに悩んでこのお店に来た時のこと、ずっと悩んできたニキビが綺麗になったと地域で話題になり、多くの女性、学生さんたちに喜んでもらえたこと。
未だにお客さん一人ひとりのお名前を覚えてること。
お誕生日の日には、手描きのお手紙でお祝いのメッセージを送ってること。
何十年と前の当時学生だった子が、今ではすごく立派になって世の中で活躍してること。
そして現在は、当時のお客さんの子どもたちが同じようにニキビで悩んでいるとき
このお店の存在を頼りにしているんだということ。
お店のご主人は60過ぎくらいの方、お店を通してずっと地域の方々を見守ってたんだなぁと思いました。自分も実際に行ってみて、ここなら安心してニキビの相談ができるだろうなと感じます。長い年月を、地元の人と関わりながらお仕事してたら、こんなふうに街の人々から記憶されるんだなって。
商売の基本を学べた気がしました。
なるほど。
面白いですね。
福岡周辺でニキビのお悩みを持ってる方は、ここ訪ねてみると面白いかもしれない(‘ ‘*)
たぶんご主人の人柄だろう(愛想は悪いらしい)けど、治療の技術だけじゃなく、精神的にすっごく楽になる印象を受けます。
(福岡ニキビ専科 参考リンク)
⇒ 福岡ニキビ専科 スタジオパル
長年の実績、地域の方々との信頼関係。
それで、この人なら任せられるって安心感に繋がるのか…
なんだかご主人から学ぶ所、とても多かったです。
先日の記事を、また別の視点で眺めてみます。
前回は、経済の基盤となる食料事情の部分に触れて。
大切なはずの食べ物の価値観が曲げられたことで、歪な経済の発展を遂げたことを書いた。
今、これによってもたらされた問題点がいろいろと浮き彫りになっています。
⇒ http://goldenflower.jp/blog/2519
通常、こんなふうになるのってありえないのですけど。
見事に此処まで改変させた当時の設計者たちの手腕、奇天烈ですね。
何が、改変のキーだったのか。もう少し過去をさかのぼって思い描いてみるのです。
経済が燃える前、戦時中の昭和初期の頃。
戦争に巻き込まれた多くの人々。
土地を焼かれ、食べ物が殆ど無い時代。
若者たちは兵に駆り出されて、国のために死ぬのが名誉だという価値観を叩きこまれ
あの場所で、多くの人達が、。
国のために、父が、兄が、息子が、未来ある若者たちが、
取り残された人々は、大切な人を国に奪われ、貧しい暮らしを余儀なくされ、食べ物がなくて
粗食。白ご飯なんてごちそうはない。重湯、お粥のほぼ水だけ。
ほんの少しのお米をもらうのに、貴重な着物や品物を献上して、やっと食いつないだ。
食べるものがないから雑草まで食べてた。葉っぱも茎も。
当時の食生活は、たぶん人が生きてく極限状態のモノで、腹6分目とか、生命活動の上では理想的なものだったかもしれない。もし、そういう仙人のような存在にあこがれて、自分から進んでそういった粗食をするのだったら、問題は無かったと思う。
だけど、みんなそーじゃない。大多数の人々が、もっとお腹いっぱい食べたかった。
望まれたモノがやってこなかった。むしろ奪われる一方だった。
飢えて飢えて、飢え。飢え。おなかすいた何か食べたい
食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい
食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい
食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい
食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい
もっと、もっと、もっと。。
ようやく戦争が終わって、やっと自分たちの生活を立て直す時間が出てきた時。
それでも未だ、食べ物は貴重品、焼け野原を開墾するのに時間掛かるし、
そうしてる間にも、食べなければ生きていけない。
餓鬼って書きます。飢えた鬼。餓鬼。
莫大なエネルギーの流れです、この欲しいという感情は渇望感。
ただこれ、支配層の人にとって、けっこう思い通りに動かしやすい感情なんだ。
飢えからくる行動原理は、自然じゃない。
判断力が鈍り、目先のことしか目に映らなくなってしまうのだから。
。。。
飢えの蔓延する時代に、ふと。やってきた。
海外から小麦で作られたパンが。
それから、ハンバーグとかオムライスとか洋食文化が。
綺羅びやかな食文化が海外からやってきた。
これまでのひもじい粗食。
芋粥、雑草生活、みずぼらしい食事風景とはおさらばなのだーーー!!!!
・・・お米よりパン。味噌汁より牛乳。魚より肉。
価値観が曲げられた。
これはイメージ戦略だったんだ。
題名の通り、現実を動かす幻影のとおり。
戦時中の人々にとって、
「粗食」=貧しい、飢え、苦しい、貧困、戦争で大切な人を失った哀しみ
を想起させるものだった。
いくら、その食生活で人間が生命活動をフルに発揮できるとはいえ
当時の人々にとって、その味は苦しみを思い出させるモノになってしまっていた。
ここが第一段階。
そして、次。食べるものがないところで、
残飯を、無料で配ったんだ。残パンか。
海外産の、おそらくは大規模生産で余りに余った小麦粉を、なんかポストハーベストとか漂白とかかけたネジ曲がりも甚だしい食べ物?を。
「これを食べると大きくなれるよ!」のキャンペーンとともに。
みんな食べ物がほしい食べ物がほしいの「飢え」で動いてしまうから。
目の前の餌に真っ先に飛びついてしまった。
これが飢えの苦しみから解放してくれる「救世主」なんだ、と錯覚して。
「救世主」=パンのイメージ。
きっと、アンパンマンの作者さんもこのイメージが重なってしまったんだろうなぁ。
ここで、日本古来のお米文化が、小麦・洋食に曲げられた。イメージ戦略だ。
その関係で食文化が海外仕様に切り替わり、海外の輸入に食べ物を頼るようになってしまう。
肝心の稲作、お米、大豆、漬物、味噌、日本古来の本来の食べ物が食卓から追い出されてしまった。
日本では稲作が適してるのに、お米を食べなくなり、わざわざ海外から小麦を取り寄せる始末だ。
本来あるべき食の基板が崩され、イミテーションに切り替わる瞬間を見る。
こうして、日本経済は悪化の道を辿る(前回の記事に続く
⇒ http://goldenflower.jp/blog/2519
本物が買い叩かれて、イミテーションが持て囃される時代があった。
不思議な光景が、ここ最近の間で見られていた。
おろっと目を覚ませば、あれー?なんでー?って思うようなことですね。
そういうの今、現象として現れてるのが
「食べ物関連」
・食糧難なのに、なぜか日本では食べ物であふれている。
・よくよく見たら、その食べ物は薬漬けにされている。
・自給率が低いのに、殆どの人が自給する環境を整えられない。あるいはしようともしない。
「働き手事情」
・農村では若手が不足している
・就職難で若者が就職できずに困っている。
「社会情勢」
・経済が困窮している。
こんな感じ。
いろいろ情報が入ってきたので整理しようと思います。
まず、経済を回す地盤は食べ物と水にあります。
みんなが生きていかなければ維持できないから。
ここは過去の記事でも書いた
⇒ なぜ仕事をするのか?
次、今の経済は地盤を燃やして得たエネルギーで発展したものだ。と以前書いた。
以下は聞いた話なのであやふやだけど、ちょっと走りの例を出してみる。
農村で採れた旬の特産品。栄養たっぷり。
旬の時期は、その品物がたくさん出回る、安く手に入る。
とある業者が、その作物を安値で農村から買い叩く。安い内にどんどん買い占める。
業者はその後、その作物の相場が上がるまで冷凍室で寝かせる。
時期が過ぎて1個3倍の値段換算になった。よし売ろう! 市場に流す。仲介業者さん大儲け。
皆が食べる総量は変わらないから、その分、本来の時期のものが食べられるタイミングをずらされる。
もっと大きな規模で見た場合、海外からの食べ物の輸入ですね。
めっちゃ安く大量に仕入れる。わざわざ海外から。物価が安いからとかいう理由が主だろう。
しかしその分、現地の人の食べ物が行き渡らなくなる。し、
逆に必要ない場所に届けられた分だけ、輸出先で実った地元の特産品まで値崩れを起こす。
⇒ 作っても売れん、稼げん、現地の農家さんさらに苦しい。
もう無駄×無駄の連続です。
個人間のお金の動きを度外視しても、「土地の総エネルギー」目線でだってヤバイです。
輸送コストとか大量生産の安全管理費とか無駄な部分が膨大に出まくってるんですよね。
農村さんは土地のエネルギーを作物に宿らせた時点では、採れたて新鮮100%。
もし仲介業者さんが、新鮮で栄養価が高い内に地元の方たちにしかるべき価格で流通させれば、土地のエネルギーロスはなく健全な地盤を築いていっただろうが。
ここでお金儲けのために「高く売れる場所に運び出す」あるいは「相場が高くなる時期まで待つ」という行動を取ってしまうとなると、ロスがやばすぎる単位なんです。そのために訳のわからん品種改良したり、農薬使ったり、保存剤とか殺虫剤とかかけまくったりして、もう本末転倒。
作物はどんどん弱る一方。古くなって栄養素まで少しずつ失われる。
そして時期はずれとか、遠く離れた地にて、やっと出まわるようになる。
作物の栄養効率は50%以下、もっとひどくなると1割くらいに減っていたかもしれない…
農村さんは安いお金で買い叩かれてひぃひぃ。
そんな大変なことになってる一方で、訳の分からない業者さんボロ儲け。
もうこれは、そういった業者が土地全体からエネルギー(富)を無駄に奪っていたともとれます。
業者は何も生み出してない(むしろ訳わからんことしてた)のに、なんでそんなに儲かっちゃうの? ただ安く買い叩いて変なことして高値で売っただけ、果たしてそれが社会から必要とされる仕事だったの?
すっごいおかしな話。でもなぜかそれで社会的評価(お金)を得ていた。(この部分に収奪のカラクリがあると見れる)とすると、仲介業者さんが儲けたお金で、そういった変なことする産業がどんどん成長していくのですね。
食料品買い叩きー、薬品漬けー、加工品高値売りー、希少価値ー、ブランドー、そっち方面に走ってった。
はしょって、結果。
農村はお金稼げへん、街中で一発当てたるぜ〜。って若者が都会へ出向く。
労働力が訳のわからん方向に流れていく。農村から離れ、色々な経済活動。営業、企画、開発、流通。
で、生まれたのが、別に生きてくのに必要のないもの。けっこう無駄なモノ。
本物必要不可欠なものが買い叩かれる一方、無駄に見掛け倒しの無駄なものがブランド価値を上げて持て囃され、市馬にはびこってた時代が過去にあったのです。
なので今、こうして経済が低迷してるのは、世界が食糧難が騒がれてるのは、「本物の食材」、要となる場所のエネルギーを蔑ろにしてしまったから。
一方で何も生み出さないばかりか、害悪をまき散らした人たちが間違って評価されてしまったから。本物と偽物の価値がごっちゃになって、雰囲気で入れ替わっちゃった。
それで社会の風潮は本物の見る目を見失い、見かけ表層の部分で評価される時代になっていった。
大衆心理がCMとかで動かされて、偽物が光り輝いてたから。その分本物は陽の目も当てられなかった。
食べ物から始まった小さな流れが積もり積もって。
市場の価値観が曲げられた。
「本物のエネルギーは日陰に追いやられ」
「中身の無い見掛け倒しのイミテーションがブランド価値を高める」
という大きな流れに曲げられていた。
美容関連の市場に携わってると、そのへんがよく分かるような感じでした。
その時代に売れてたのは、CMで大宣伝してお茶の間のお馴染みとなったあの商品たちでした。
別に効果効能を感じたわけでなく、見せかけの雰囲気に流されてただけ。の人が大半。
そういうの買う人は、実際の効果・効能・深味。よりも、イミテーション・・・
つまり評判とか口コミとかパッケージの雰囲気とか皆が使ってるからとかボトルが可愛いとか形が綺麗とか、表面的な部分でしか判断しようとしないのですものね。
だから大衆操作もやりやすかった。ステマ? おっけーおっけー。
で、肝心の中身は???
・・・これは、身体が弱ると敏感に感じられるようになれましたね(o _ o。)
そろそろ、気づく人も過半数を越えだす頃合い。
最近は、色々と炎上ニュースが多くなりました。
〜はホントは違った!とか、あそこの企業はブラックだ!とか
あの企業の製品は実は危険、避けた方がいい!とか。
ありゃー、何十年と同じことを続けて今更・・・みたいな(‘ ‘*)
ただこうして情報が広まって、これってマズイんじゃない? て気づく人が増えだすと、今までのようには行かなくなる。中身ないのに外見だけ取り繕ってやってきた企業さんとかは、今からますます苦しくなって、生きていけなくなると思う。
価値観が変わると、今までイミテーションで成り立っていた企業は根こそぎアウト。
そういったところは人員削減やコスト削減とか事業縮小とか事業内容の見直しとか余儀なくされて、新しく人を雇うなんてもってのほか。しかも今まで上手く言ってた分、別の方向性に乗り換えられるのは難しいだろう。アウト。
そういう企業がほとんどなんだから、就職難とかじゃなくて、それは元から必要なかったモノ。
仕事とすら言えない。エネルギーを無駄にしてただけ。
文字で描くと長くなるなぁ。
だからこれからどうすればいいか、見えてくるようになる。
こんな長文じゃ、分かりづらいな。もっとシンプルになるですよ。
「自分の食い扶持くらい自前で用意するのじゃ(。◕ ∀ ◕。)ノ」
何でも自前で用意すれば、本物を見抜く眼が鍛えられるから。
イミテーションに惑わされなくなる。本当の現実に生きることが出来る。
それを出来る人が、新しい時代の生き様を導いていくように思います。
カラクリの根幹を掘りさげてみた話は続きに。
⇒ http://goldenflower.jp/blog/2522
せっかくだし、思ったことはメモしておきます。
引寄せの法則で不思議に思ったのが、
「欲しい」
と願ったものが来ないということ。
なぜ?
とある解説書には「欲しい」≒「今手元にないことを認識している」から、現実にやってこない。とか何とか書いてましたが、一見どうにもしっくり来なかったのですよ。
お金欲しい、土地欲しい。
確か、以前の記事でそういうこと書いてました。
今金銭面でどうかというと、最悪な時より問題はなくなったが
望みを叶えるほどではないのですよねぇ。
「欲しい」と安直に願うばかりではダメなのかもしれない。
もう一歩踏み込んでみました。
それが手に入ったらどうするのか。
お金が手に入ったら、土地を買う。
土地が手に入ったら、植物を育てる。
自給自足したい。
自給自足できたらどうなるのか、何があっても最低限生き延びれる。
自分の力で生き続けたい。。。
つまり、全部。自立のためなんですねぇ。
土地神さんの力を借りて、植物育てて、食べ物分けてもらう。
「植物を育てて、食べ物を分けてもらう。それで生きる」
が最終目標だとすると、今出来る事はお金を稼ぐこと?
から、なんとなく観点がずれてくるのですね。
此処に書いた ⇒ 植木鉢は優しい揺りかご
植木鉢のお話。
実は、現時点では植木鉢で育てるのが一番うまくいったのでした。
いきなり土地を耕すのではなく、植木鉢から。
マンションのベランダで、プランターで育てるのが第1歩なんだなぁって(‘ ‘*)
たぶん「欲しい」の感情は
今手元にあるもので願いを実現できることを見逃しているということ。
引寄せの法則で仰ってるのも、そういうことなのでしょう。
植木鉢から学んだことは大きかったです。
欲しい、は、本当に必要な状況でやってくるとも書かれてある。
微妙にやる気がでないのは、もっと簡単でシンプルな方法を見逃してるからだ。
本当にそれが必要なとき、歯車が合わさったみたいに
どうにかして手元に引き寄せたいと心から願うのだと感じる。
その時の原動力は凄まじいものだと、過去の体験談を思い返してみた。
欲。
深い欲。
何かが渦巻き始める。