ストレスは解消、発散するものではない

弱きは強み。

ストレスは、人生の道を差し示すガイド。
解消するものでも、発散するものでもない。
自分にとって必要なモノだから。今、重く身体に伸し掛かってくる。
今進んでる方向は正しい道でないと、感覚が訴えてくれている。

ストレスの症状は、自分に対するメッセージです。
だから、何も考えずに解消したり、発散したりするものではない。

 

なんか、以前何処かで書いたような記事ですね(o _ o。)
ひと月前くらいに書いた節分のコラムが、まさにそれなのかしら?

節分のお話【鬼は内、福も内】

 

ストレス。日々、惰性で生きてる内に嫌なことがあって。
自分にとって、どうしようもないことだと思い込んで。
そのまま自滅しかねない(解消とか発散とかいって、短期目線に走ったりする)場合。

ちょっと待て。という形になってしまうのでしょう。
具体的には、食べ過ぎに走ったり、酒タバコに言ったり、異性関係だったり。

 

そういう時こそ、一度立ち止まったほうがいい。
何もせず、黙って、じっと内面を見つめる。

ストレスは味方だという意識を持って。
自分の選択に、どこに改善点があるのか。

感情の波を沈めて、ただ冷静に見つめていきます。

 

鬱っぽくなっていいくらい。
何もせず、内面を振り返った時。

何らかの形で気づくでしょう。

 

あ、私こうしたかっただけなんだって。

 

ストレスの原因が、人間関係で。
育児のことや、家族のことなど、一見どうしようもないことのように見えても。
無理をせず内面を観察して、目の前の相手に、ありのままに話してみること。

素直になることで、そこで必要なものが降りてくると思う。

 

けして、不倫とか、育児放棄とか、安易に楽な方に流されず。

周りを味方につける。ストレスすら味方につける。
そういった考えで、物事を選択したら良いのではないか、と思いました。

おわり(‘ ‘*)


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エンジニアの下請けと大企業の仕事

とある、転職イベントが近くであって。
様子見がてら行ってみた。

ら、なんか個人事業主向けに案件を発注してる団体があったので
詳しい話を聞いてみました。ちなみにWebエンジニアの案件です。

 

当初私は、なんか団体さんが外からまとめて受注した中で、
出来そうなのピックアップしてお仕事するのかな〜とか思って。
つまり、受注案件一つをまるまる頂いて、自分のさじ加減でやるのかな?と思ってた。

ちがった(o _ o。)

 

なんか、個人事業主向けとかイイながら、下請けとか。
会社に拘束されな、いかんらしい。だいたい8時間くらい。
で、なんか月に固定給料で、出来高とかじゃなくて。
わりと時間制らしい。

で、自分のPCでやるのか?と思ったら、
なんと会社側で用意したPCを使わないといけないらしい。
あと、チーム制らしい。

そうやって開発チーム組んで、リーダーの言うこと聞いて
プログラミングしていくんだって。

言ってました。

え〜〜〜〜;

 
いやー、久々に地獄絵図をかいま見てきましたよ(。◕ ∀ ◕。)ノ

無駄に8時間拘束?(しかも残業が当然のごとくあるだろう)
いきたくない会社にわざわざ出向いて?(しかも残業が当然のごとくあるだろう)
PCは使い慣れた自分のじゃなくて?(他のことが一切できないというやつである)

しかもチーム制?ちーむわーく???(個人の裁量は無視か?)
で、給与は月給制で固定(のんびり仕事しようがさっさと済ませようが、何も変わらないのである)

。。。

 
なんかもう、向いてないなと思いましたね。
なんで人のやり方で仕事せなならんのやら。
効率悪い、自分のPC使えないとか、好きな場所でできないとか。
それPCでやる仕事のやり方じゃないし。

料理で例えるなら、
人の包丁で、人のレシピをただ作らされてる感ですね。
お客目線じゃなくて、マニュアル目線ですね。

効率悪いような気がします。
(私は一人のほうが色々融通がきく)
 

あと、書類選考についてですね。
あれ、技術とかやってきたこと見ないんですね。
実績見るんでしょうけど、大企業のどこどこで働いたとか
「〜」いうプロジェクトに携わったとか重視されるらしい。

今まで個人的にやって来たけ、そんな無いな〜。

 

いろいろ面倒そうだった。

世のサラリーマンたちは、こういった世界で仕事してるのか?
と、半ば驚きでしたよ。びっくりです。まさかの風刺画。

自分のやりたいように出来ないんだな〜。
評価も、なんか肩書とか名前をまず見て採用とか最初の給与の条件決めるみたいなだし。

そっっかー。

 
それと市馬の傾向としては、大手になればなるほど、
採用担当とプロジェクトリーダー担当が別々の人で
なんか、融通がきかなくなるとか、

話が通じなくなるとか、そんなふうらしい。
そうだよね、大手になればなるほど、なんか一つ一つの決定事項が遅いもんね。
で、個人的な感情や話し合いは一切通じない傾向だよな〜。とか。

で、私が、そんなところで働くとか。
ありえませんでした(。◕ ∀ ◕。)ノ

 

1日8時間拘束で、効率悪い(人目線)の仕事させられて
給与は固定されて、それ以外のことができなくなるとか。

リスキーだ。。。

 
いくら目先のお金がほしいからって、コレはないわ(o _ o。)

やっぱ時代はフリーランスだな(。◕ ∀ ◕。)ノ
自分の時間のほぼ全てを、無駄に犠牲にしてる働き方がありえないから。

もし私がこんなトコ行ったら、お金得る替わりに、
音楽作る時間、自分自身の受注した大切な依頼、
物語を書く時間、音楽を聞く時間、美味しいものを食べる時間、皆と語らう時間。

それらが、かなりの勢いで無くなってしまう。
こんなムダの多い働き方は、いくない。

(人には向き不向きがある、私の場合はこういう感覚である)

 

世のサラリーマンの方たちは
こういった環境で頑張って働いてるのかと思うと。
尊敬?いや、なんだろう、スゴイなぁと思いつつ。

もと別の良いやり方は無いのだろうか?と、思ってしまうのでした。
 

だって自分の包丁で、自分のレシピで、持ち味で作れる方が断然イイ。
で、発注先が、自由にその持ち味を組み合わせてプロジェクト(コース料理)を作る。
なので基本、持ち場(一品一品)はおまかせです。

個人事業主(対)個人事業主の関係だったら、それが普通だと思う。
だって、適任の人にお願いすればイイだけだもの。
あと、受注した側も、自分の感性から発注先の意を汲み取りやすいし。

 
で、ここでなぜ、雇われ(縦社会的な?)感覚で仕事の形態を作るのか。。。:;;

あれか、雇われ側が、あわよくば仕事教えてもらおうなんていう甘さなのか?
責任逃れなのか。ノウハウ依存なのか?

それとも、発注先のばっちりしごいてやるぜ的なSのオーラなのか?

自分の意にそぐわない働き方を強制されて、いい仕事できるというのか?
時間も労力もけっこう無駄出る気がする。

ほんと疑問・・・
Webエンジニア下請けのお話聞いた限りの感想ですが…(。0 _ 0。)ノ

 

そいや、其れがしL◎NEの会社さんも、同じような失敗をしでかそうとしてましたね。
プロジェクト決まってないのに、何かとりあえず人を集めよ〜みたいな感じで。
それでいきなり採用メンバーでチーム組んで、新しいサービスつくろうとしてた。

いや、それ未だ設計図無いんだよね。中心がなくてどうやってまとまるんだ?
こりゃ、今からぐたぐたにならざるをえないでしょう。と直感した。

大丈夫か? 大企業。

 
私は、颯爽と抜けた抜けた。一抜けて外野から傍観ですよ(。0 _ 0。)ノ

じーーー(‘ ‘*)


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自然と人との繋がり【料理人目線】

こちら記事より続きです ⇒ 自然との繋がり、人との繋がり
 
今回は料理人の視点でお届けします。
 
 
自然の恩恵は、皆に平等。
どのように平等かというと、太陽の光や雨、地上の作物はもちろんのこと。
その人、それぞれにあった形のモノを、用意してくださる。

例えば。アナスタシア(※⇒第一巻 響き渡るシベリア杉
に書いてあった言葉の、私なりの要約。

 

家の庭に生える植物は、その住人に必要なものが生えるようになっている。
 
自然の種を、自分の手を介して、
自分という情報を種に与え、それを植えることで
植物の実は、その人に必要な、あらゆる栄養素を含む実を宿らせてくれる。

自然の恩恵

 
これが、自然の食べ物。
人が何も考えずとも、そこにメッセージ〘生命】を吹き込むことで
あとは、発芽と成長と実りを、すべて宇宙のリズムが助けてくれる。

そうやって出来た自然の作物を料理する時。
料理人は、食材のメッセージを、そのままダイレクトに食べる人に届けるだけ。
ほとんど何もしなくてイイ。それで、非常に優れた栄養を自然から受け取ることが出来る。

料理人は、自然の作物の恩恵を、食べる人に橋渡しする役目。
 

そうでしょう?
そう思わないですか?

このとき、その人が食べたいものと、自然の作物の恩恵が見事に一致するんです。
自然のリズムに目線を合わせても、食べる人に目線を合わせても、
同じ料理として、振る舞うことが出来るんです。

 

それが、自然と人とが切り離されてしまった場合は…
自然の作物が、誰か別の人の手を介することで、間接的に届けられると。
その人のための「自然な・栄養バランス」というのがまず出来なくなります。

この時点で料理人は、その人に必要な栄養バランスを汲み取り
自然の作物から食材を選び抜いて、料理する必要がある。
当サイトの美人料理レシピのコラムは、この段階で必要になる知識です。

美人料理レシピ【簡単マクロビオティック】

 
素材の味を活かし、組み合わせる。
その人に必要な塩分、ミネラル、火の入れ方を用いて、料理を提供する。
それで、自然の恵みと作物を育てた人の愛情、料理人のまごころをダイレクトに、
食べる人に与えることが出来ます。

しかしそれでも、余計な手間隙がかかり
ダイレクトに届く自然の栄養、恩恵までには遠く及ばないだろう…
と、私は考えています。

 

さらに自然と人とが切り離された段階だと…
大型機械による大規模な農場で、農薬や化学肥料を撒かれ、自然の栄養素が大幅に削られた
大規模調理用、商品企画用の没個性野菜が出来上がるわけです。

人の手による厳重な管理、害虫駆除、季節や土地柄を無視したビニルハウス。
あと、人件費削減の海外生産+冷凍輸入野菜。果ては遺伝子組み換え。F1種。

ちょっと行き過ぎました?…

もう自然の有り難みどこいった!?な感じの、経済優先の大規模農業形態ですよ。
もともとあった食材の栄養も大幅に少なくなって
加工食品とか添加物漬けにされるのが殆どで。

 
業務用の冷凍野菜とかですね。
ファミレスとかコンビニとか大衆レストランとか。
一般家庭でも使われることありますよね。

この状況になると。
味付けは味の素、化学調味料で強烈な旨さを加え、食べる人の健康とか気にせず
その場限りの燃える一皿が出来上がりますからね。

そういう料理に慣れた人目線で作れば、それはそれは大層な一品が出来上がるわけです。

めちゃくちゃな料理です。生命力を燃やして、ハッピーにする一皿です@@@
で、栄養足りないからサプリとかで補うのでしょう。

無駄が多いですね。
こうなったのも、人の手を介してという部分で
「お金儲け」という自分勝手な意図が乗っかってしまったせいですね。
 
そこで曲げられたんですよ。

自分たちが、食を生命線にしてるばかりに。
食べ物は自然から得られるはずが、人?を介して得ることで。
コントロールされやすい状況になってるんです。
 

これでも作物(自然)の目線に焦点を宛てて作るとですね。
素材の味を活かす調理技術、50度洗い、低温蒸しで農薬落として
丹精込めたこだわりの調味料(塩、しょうゆ等)で味付け。

これでやっと、自然の味をお届けすることが…

。。。だが、人工的な味付けに慣れたお客さんは言う。

「おお、なんか素材の味(自然な甘み)が出てるね。身体に良さそう。(けど、ちょっと物足りないかな…)」

それで、お砂糖とかはいってた方がいいて言う人いるし。
ここに、出汁の素(アミノ酸等)とか化学調味料とか入れるのもイイね。
って、いうふうにおっしゃる人も居ます。(添加物はカラダに悪いよ..)

元々の素材が….(o _ o。)::
これが限界なんですよ…
一応は、栄養素もなるだけ壊さずお客様の健康を考えてうんぬんかんぬん。

 
南国の食べ物は南国の人たち向けの栄養ですよ。
日本人に必要なのとはちょとズレますよ。

 
という感じでほら、実際ずれてるんですよ;;

人目線で作る一皿と、自然に沿って作る一皿と。
それで、人目線で評価される方が、お金稼ぐ意味でも重要でしたからね。
経済優先、ますます自然から、かけ離れ、ギャップが大きくなってしまったのです。

 

料理に例えると、こんな感じです。

人目線で仕事すればするほど、目先に近づく。わかりやすく、でも目先は目先。
生きてく上でどうしても必要である以上には、関わらなくていいものです。

 
それよりは、自然との繋がりをもっと意識することで
より質が高く、無駄のない素晴らしい料理を提供できるようになる。

そこから表現力、想像力、その他の情報、考え方、偉大なる発明、次世代のエネルギー
そういった、新たな創造を生み出すきっかけも受け取れるはず。

 

人の技術は偉大ですが、自然の営みには遠く及ばない。
一から自然に立ち返って学び直す方が、よほど優れた資産を残すことが出来るでしょう。

 
それには、まず繋がりを意識することからです。
食べ物との繋がり、料理人との繋がり、農家さんとの繋がり。
その先に、自然との繋がりが感じることなのです。


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結果は後からついてくる

「あきちゃん、目先を追い求めたってダメなんだわ」

この言葉、同業である人生の先輩から、教えていただいた言葉(‘ ‘*)

 

「何かを期待して、目先をつかみに掛かろうと思っても、なぜか上手くいかないんだわ」

…そうなんですか(‘ ‘*)?

 

「そうではなく、ただ積み重ねていってごらん。ひたすらに。そしたら、いつの間にか結果が付いてくるから」

…はい(‘ ‘*)

 

この言葉、今は少しわかったような気がする。

 

目先を追い求めても、その場限りで終わってしまう。

目線を深くし、積み重ねることで、長く長く残る確かなモノが、だんだんと姿を現すのだ…と。

なんとなく、土と触れ合うことに似ている…と思いました。


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必要とされる存在

本音の対話
 

昨日はお騒がせしました(o _ o。)

思い切って内情をあるがままに話してみましたところ、
おかげで気持ちの整理も少しずつついてきてるように思います。

こういったサイトを運営してると、
ついカッコつけたくなったり。
そういった言い回しが多くなりがちだったのですが。

本音をぶつけることが大切なのだと気が付きました。
だから、必要な気づきをみんなが与えてくださいました。
 

画面越しのやりとりだと、顔が見えない分。。
どのようにも自分を演出することが出来るし
それは相手も同じこと、お互いにわかったつもりになって

実は、心の内側までは真に理解できない。
だから、ネット上で情報を伝えるにしても限界があるし
わかったつもりになって、かえって良くない結果に終わってしまうことも知りました。

 

以前お世話になった先生にアドバイスを頂いたのが

「顔と顔を合わせる大切さ」

 
それから

「自分の持つスキルがどのように社会に役立てるか」

 
それらを考えることだって。

 

実際に顔を合わせての対話。

 
今までは、

ネット上で完結するんだし、人とやりとりするのが面倒…とか
わざわざ企画するのも面倒、コレでいいや….

ばかり思ってたので。
ホント、何も出来てない状態だったのですね。

言い訳だったですね…

 

今後の展開について

思えば、私ができることで
何か世の中に役に立つことはないだろうか…と考えてみたら

 
【美人料理のレシピ】
玄米の炊き方ひとつから直々に「料理教室」をひらいて教えるとなったら
必要としてくれる方は居らっしゃるかな。。。

とか

 
【暮らしのアドバイス】
実際に私も克服したから
アトピーや原因不明の不調で悩んでる子の力になってあげられるかな?

とか

 
【簡単な身体のケア】
肩こりや腰痛で悩んでる方に、症状の解消をお手伝いできるなとか。

これは、私がよく行く飲み屋さんで、
お客さんに簡単なケアをしてあげると、驚きの表情とともに喜んでもらうことが多く。
いつも必要とされてることに喜びを感じたりしてます。

 

そうか、私を必要としてくれる方がいる。
そして必要としてくれる方からお金を頂くことができる。
だから私は今まで生活できるようになってたんだ。。

 
必要とされることが、私に存在を許してくれる。
こんな当たり前なことに、気づけたんです。

助けることは、助けられることと同じ。って。

 

考えてみたらその通りで
実際に会って、その方のお役に立てて、お金を頂けるという体験をしてたら
ホントに自然に感謝の心が湧くというのに、とても嬉しいことなのに
もっと貢献したい…と心から思えるようになるのに。

どうして、気づかなかったのでしょう。

 

ずっと画面越しのお仕事だった。
人の顔が見えなかった。

報酬は、画面越しのクライアントが払ってくれるけど。。。
あまり実感がわかなかった。

 

雇われ時代でも、給料は会社から出て、
他の場所の作られた商品をただ売るだけに感じてたから

 

【誰かが必要としてくれた ⇒ おかげで私はお金を頂いて生活出来てる】

という図式が見えなかったようなのです。

 

なんということでしょう。
人の顔を見なかったばかりに、もし目先の利益を追いかけてしまったら。。。

過去の記事 ⇒ お金が蔓延する社会

 
この悪夢の循環に流されてしまってたということ。なんということでしょう…
人を見ない、画面越しの作業こそ、歪みの原因を担ってたのですね。

 

今回、とても大切な気付きだったように思います。

私を必要としてくれる人が居る。
だから私は生きていけるし、生きられる事自体に有り難みを感じるんだって。

そうやって色々な存在に必要とされて、一財を築けた人は、とても立派な方なのだと。
資産家という肩書に対し、これまでのような偏見を持たずにもなれそうです。
お金をありがたく受けとることが出来るようになれそうです。

 
大切な学びをもたらしてくれたみんなに。
宇宙にありがとう(uu*).。.:*・゜


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