黒糖抜きの乳酸菌培養

http://ameblo.jp/dr-kimbow/theme-10043086246.html

乳酸菌の培養について、深く研究されてる菌坊さんのブログ(乳酸菌カテゴリ)。
なんと、玄米+水のみで発酵させる方法を取ってます。

糖質0ですよ。
塩すら入れない。

でもこれでしっかり発酵してくれるものなのですね。。

 
そういえば前回の記事で、糖質制限について触れました…

http://goldenflower.jp/blog/2284

 
このことから分かるように
もしかしたら乳酸菌も、糖質制限したほうが良いのかもしれない。
だからこそ長持ちするかもしれない、と思ったのです。

試しに今、黒糖抜きで培養してます。(塩は入れてる)
 

。。。

 

。。。

 

 
発酵しない..。?

 

今までみたいに、3日や1週間ではちょっと厳しい感じが。
仄かに芳しい香りはしてるのですけどね。。。

 
 
菌坊さんのブログによると、
なんと4年前の玄米をそのまま水の継ぎ足しのみで使ってるそうなのです。
雑味が取れ、旨味が増してくるそうです。

http://ameblo.jp/dr-kimbow/entry-11546765280.html

スゴイですね。

 

 

糖質というのは、スピードを早める性質があるのだろう。
しかし長期的な視野で見ると、糖分による熟成は寿命を縮めてるのかもしれない。
人間もそうなのかもしれない。
 
急ぎで必要な場合、黒糖によるスピード醗酵も必要なのだろうが。
前もって仕込んで発酵させてストックを作って回せば、最終的に糖質0でいいのだろう。
時間をかければ糖質0で問題なく、長期的に発酵できることが実証されてる。

  
ひとまず、醗酵がゆっくりになってしまいました。
さすがに乳酸菌が使えないのはマズイので、
黒糖入れた分と平行して育てていこうと思います。
 

それにしても加熱乳酸菌とな?!(‘ ‘*)
これは初めて発見した。すごい参考になります。


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自立×自立 発展のアイデア

此処で言う自立とは、

最低限の自由な生活を自分の領域で完結できる状態のこと。
「食事、寝床、自分らしい生き様」を自分の選択で賄えること。

 
この人たちが2人、或いは複数揃うと。
とっても楽しいことが起こる気がします♪(‘ ‘*).。.:*・゜

 

例えば、共同で生活するとしましょう。

まず、お互いが相手との関わり方を自由に設定することが出来る。
だって、もともと一人で大丈夫だから、余計な心配いらない。
代わりに、出来る事が増えます。

 

食事一つとってみる。
 

私の作る料理は、大体決まってるでしょう?
乳酸菌炊き、低温蒸し、ウォーターソテー。酵素玄米、味噌汁、その他。

そこそこ美人になれるレシピとして、自信持って提供できるけど
そんなに大それたことは出来ないのですよ。
元々が少人数用、一汁一菜用の簡易レシピですからね。

ずーっと同じ食事だと、何だか進歩がなくて退屈になってくる。
だからたまに、羽目をはずしてしまうようになるのですが…

 

ここでもう一人の方が居て、交代制で食事が用意できるとしたらどうでしょう?

わぁ♪ そのレシピは何!? そんな方法で料理できるんだ!!
その器具って何に使うの!? へぇえええ!! 工夫したらお家でもこんなレシピが作れちゃうんだね。
わ〜〜、ハーブティーだ〜♪ 私、飲み物系とかスイーツとか作らないから新鮮♪

美味しい(o v o。)*:・’゚☆

 
となって(あくまでも喩え話ですが)私のレシピの見聞も広がるのです。
もちろんお互い得るものがあって、それらを自分なりに工夫、アレンジするでしょ?

そしたら、次はこうしたら? とか、まさかそんな方法で!?とか
どんどん発展のアイデアが出てくる。

 

料理一つ取ってコレですよ。
他にも菜園、植物の育て方に関してもそうでしょう。

同じ品種を育てても、やはり育てる人によって出来が違うもの。
育て方の違いや、環境の違いというものがあるし
好みの品種の組み合わせとか、土の配合とか、アレンジ面でも変わってくる。

 
お互い育てたのを比較してみて、またも意外な発見があったり
お互いの失敗から学べたり、そして次の方法が議論できたり、種の交換ができたり。

いいコトづくしですね。

 
これが、一方が他者に習って同じようにやる…
で止まっては、発展性ありませんね。

反省(o _ o。)

 

というように、

料理、お部屋作り、ガーデニングのセンス、ファッション。身体のケア。音楽、趣味。
お互いのやり方が違うからこそ、お互い刺激になって楽しい。
そして依存がないから、好みによっては相手のやり方を尊重しつつ、
自分に対する影響を無視する選択もできる。
 
 
どちらかが何らかの理由で予定を空ける時も
役割なんて有って無いようなものだから、何の問題もない。

= 気兼ねなく休めるし、いざという時は助け合える

 
 
そういえば… 考えていて気づいた。

私はこういう状態を求めていた。
お互いが自立すること。
 
 
見返りを求めなかったわけじゃない。
あのときは逆に、求める内容が大きすぎたのだ。
だから無理があったのだろう…

 
どちらかが、何かを依存しなければならない時
その部分のリソースはどんどん消耗する一方。それは嫌。

足りない部分は気づいて欲しい + その都度気づいて成長していきたい。
 
 
と、今は思えるようになってきてます。

何となく、見失ったことが戻りかけてる。
自分の叶えたい未来が以前より見えてきたような…

 
 
それでお互いの生活スタイルが自由にアレンジ出来るよう
必要最小限でシンプルな暮らしなんですね(‘ ‘*)


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他人の存在は自分あってのものですね

自分が存在してるから、他人も存在できてるのですね。
もし自分が傷ついたら、関わってる人たちも心配するし、
自分が消えてしまったら、関わってる人たちの存在も認識できなくなります。

親しい人が傷ついていくのは、観るに耐えられないことなんだ。
〜したらいいのに、教えてあげたいのに。

でも、当の本人は、そのことに無頓着でしょ。
意識が向いてない、自分のことに意識が向いてない。

もどかしいのです。

 
ここで、下手な親切心でお世話しようものなら
本人にとって、してもらって当たり前の依存心が付きかねない。
そしたら、お世話する方は負担ばかりだし、当の本人は成長の機会を見失う。

何処かで、自分自身が気づかないといけないのです。
私は、自分を傷つけるようなことをしてたんだ…って。
意識を改めないと!って。

今まで出来なかった部分が意識できるようになったら、
もっと自分を活かせるように動けるし

 
その部分において、自分が無理に傷つく必要もなくなるの。
そしたら周りの大切な方たちも、余計な心配させることもないし
逆に、周りを喜ばせることが出来るようになる。

 
わぉ、予想以上に素敵になったね!!ってw(‘ ‘*)w

 

そしたら、お互いにとって成長のスパイラルなのです。

続き ⇒ 自立×自立=アイデアの発展


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自己犠牲な人と一緒に居るのは負担ね

自己犠牲な人…過去の自分(‘ ‘*);;;;;

あああああ。ごめんね…
かなりかなり消耗してたね。

なりふり構わず、やりたいことも我慢して義務を全うしたのでしょう?
ぎむぎむ・・・?
 

そんなの誰も望んでないのに。
あのね、嘆いてたよ。

もっと自分大切にしてって。
意識が全然自分の方に向いてないよ。
そんなの、あなた自分に目が行き届いてない

知らず知らずに消耗してても気づいてないじゃん。

 
隣の人が見たら、嘆き悲しむ。
こうすればいいよ、ああすればいいよ。
外から見たら気づくからね。

ただそれ伝えても、本人自分のこと無頓着だったら
それ後回しにしちゃうね。

心配ね。

 
そーじゃない。

隣の人は、あなたにこそ必要だと言いたいのに。
どうして? そんなに自分を大切にしないの?

嘆き悲しむね。
見たくないね。

 
結局自分で気づくしか無いの。
意識を向ける方向の問題。

何をするにしても、自分の身体が資本ですからね。

自分に意識を向けるのは、最低限必要なことだった。
気づいた部分だけ、は、自分でケアできるようになる。

あとは、他人に気づかせてもらうか
目の前の鏡をみて気づくか。

 

意識が向けば、取り返せる…


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情報化社会が招いた食の問題

現代の食の問題は何処にある?

栄養学でもマクロビでもMEC食でもビーガンでも糖質制限も一汁一菜でも●●ダイエットでもそうなんだけど。
色々な健康指導の定義が、情報化社会の中に出回ってます。

だからこそ、人は惑わされる。
そして多くの人は、あらゆる情報の一面だけを見てすべてを理解した気になる。

酵素ダイエットについて
糖質制限について
一汁一菜について
 

私が検証した中でも、これだけの見落としが合った。
 

これが完璧って思って、強情に突き進んじゃうと。
どこかでバランス崩すのですよね。
特に新しいモノを習いたての頃は良く間違う。

 
世界を取り巻く土台が欠陥だらけだもの…
 
どんな教えも完璧はありえない。
受け取り側も判断を間違うことがあるし
見落としてる部分は必ずある。思わぬ落とし穴、改善の余地は常にある。

 

健康を気遣ってるつもりで居て、あれ?って思うこともあるものです。
 
特に子供の体調不良に関してはそう。
身を挺してお母さんに教えてくれている。。。

「うちの子に限ってそんな…」
 
 
のが、意外とあるんですよ。
間違いに気づいた時、今まで信じてきたのは何だったの?って…

そもそも、誰かの定めた細かいルールとか条件が限定的なものだし
丸まま信じなくてイイ代物ですし。

どんなときも、自分の肌で感じ、考えることを放棄してはなりません。
身体は、自分の進みたい道に応じて作り替えられます。
自分の進みたい道と、実際の行動が食い違う時、問題が起こる。

盲信は、自分の道を誰かに捧げてるようなものだから…

 

情報化社会が招いた食の問題
自分で考えることを放棄した時、それは起こるのだろう。。。

必要なのは食べることに対して責任をもつこと…

食べることで、自分の身体はどう変化するのか。
食べることで、周りの環境はどうなっていくのか。

 
考える両方の視点が必要。

 
反省ものですね(o _ o。)


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